御前柳神社

御前柳神社

  • 御前柳神社①
  • 御前柳神社②
  • 御前柳神社③
この神社は、天正15年(1587)、永禄年間(1558~1569)檜山の安東実季と湊城主・安東友季との同族争いに巻き込まれた三浦氏一族の悲劇物語にまつわります。
時の浦城主・三浦兵庫守盛永は、実季の大軍を防げず討ち死にしました。
奥方(松前・島守信広の娘で名は小柳姫)は身重の体で五歳になる千代若とともに舟で城を逃れましたが、この神社のある小池集落で産気づき、老柳の洞で男子を産んだ後、腰元7人とともに自害して城主の後を追ったと言われています。元亀元年(1570)9月1日、姫18歳の時と伝えられています。
父母を失った千代若はこの場に祠(ほこら)を建てて柳の木を植え、母の霊を慰めてから無事逃れました。柳のあった所には御前柳大明神があり、今では安産の神として住民の信仰を集めています。